コラム 「プロの眼」 教区通信ふくおか連載

住職の弟で、西日本新聞記者である傍示文昭が世相を斬る!

 


2002年10月号 「人間・杉良太郎」

 八月末、福岡市で開かれた市民シンポジウム「犯罪被害者の支援に向けて」(日本弁護士連合会など主催)にパネリストの一人として出席した。パネラーは私と弁護士、警察官、そして俳優の杉良太郎さん。失礼ながら、はじめに「杉良太郎」と聞いた時は驚いた。

 刑務所慰問を続けていることは知っていたが、所詮、市民シンポを盛り上げるために弁護士会が連れてきた、いわば「人寄せパンダ」ぐらいにしか思っていなかった。

 ところが、違った。違うどころか完全にシンポの主役だった。壇上に座っているだけで「華」があるのはむしろ当たり前だとしても、多くの加害者、被害者に接してきた経験に基づく発言は説得力があり、語りのうまさも手伝って聴衆を一気に引き込んだ。

 「刑務所慰問を続けて三十年になるが、いつも刺すような視線を感じる。心から反省して服役している人は驚くほど少ない」「加害者をいくら厳しく罰しても被害者が満たされることはない。応報感情を満たそうとするやり方だけでは被害者は救われない」−−。

 杉さんのもう一つの肩書きは、法務省名誉矯正監。長年に渡る慰問活動などの実績が評価され、民間人としてただ一人任命されているという。一方で、有名人であるために、こうした慈善活動に対して常に足を引っ張ろうとする勢力がついて回ることも知った。

 「この業界ではなぜか、無料奉仕をすると偽善だ、売名だと陰口をたたかれる。だから、悲しいことに出来るだけこっそりやらなければならない」「被害者のような弱者に対して、誰もが当たり前にボランティア活動に取り組むような福祉国家であってほしい」

 短い時間だったが、控え室でも話が出来た。飾り気のない人だった。「流し目の・・・」とは違う「人間・杉良太郎」に触れることができた気がした。

 こういう出会いがあるから新聞記者はやめられない。

2002年6月号 「小倉監禁事件の中の風景」

 小椋 佳、ふきのとう、イルカ・・・。乱雑に積み上げられたCD(コンパクトディスク)を写した一枚の写真が手元にある。新聞紙上では使っていない写真だが、ずっと気になり、思い出したように机の引き出しから取り出しては、さまざまな想像をめぐらせている。

 この写真は、北九州市小倉北区で三月七日に発覚した十七歳少女監禁致傷事件で、保護された男児四人が生活していたアパートの室内風景。許可を得て入室した後輩記者が撮影した。CDは逮捕、起訴された緒方純子被告(40)が聴いていたという。

 久留米市出身の緒方被告は幼稚園の先生だったころ、三潴町の高校で一時同級生だった松永太被告(41)と再会して親しくなり、やがて同居。柳川市で知人をだまして多額の現金をだまし取った詐欺容疑で指名手配され、行方をくらましたのは、彼女が三十歳の時だった。そして北九州市で十年に及んだ偽名生活。逮捕以来、多くの人と時間と新聞紙面を割き、空白の十年を追い続けている。

 だが、事件の全体像が浮かび上がるどころか、逆に新たな疑惑が次々に浮上した。十七歳少女の父親殺害疑惑、四十一歳への監禁致傷、結婚詐欺、強盗容疑、緒方被告の親族殺害容疑・・・・・。逮捕以来、雑談に応じる以外は一貫して黙秘も続いており、どこまで事件の裾野が広がるのかさえ見当が付かない不気味さが事件を包み込んでいる。

 だからこそ、静かにCDに耳を傾ける姿と、一連の残虐な事件に手を染めた疑いが強い緒方被告とのギャップがどうしても埋まらない。緒方被告の高校、短大時代にヒット曲を生んだ小椋 佳、ふきのとう、イルカの叙情的な歌は、すさんだ生活の中で、高校、短大時代の淡い思い出に浸る安息の時間だったのだろうか。乾き切った心を癒す一服の清涼剤だったのだろうか。

 さまざまな想像をめぐらせながら、改めて人間の摩訶不思議さに思いをはせている。

2002年春号 「新聞も捨てたもんじゃない」

 アフガニスタン復興が語られ始めた今、四百万人に上る難民がクローズアップされている。戦乱、干ばつ、貧困によって国際社会から忘れ去られてきた人たちだ。

 西日本新聞は昨年、シリーズ「21世紀ともに生きる アジアの人権と共生を考える」を展開したのに続き、今年は「アジアと日本・わたしたちに何ができるか」をテーマに新たなキャンペーンを始めた。その第一弾が一月に十回にわたって紙面に掲載された「難民−アフガン 命を守る」。社会部の記者たちが現地に入り、取材した難民ルポは現地の窮状を克明に伝えた。新聞記者であっても取材・報道に関わっていないテーマは、一読者にすぎない。教えられることばかりだった。

 「あのアフガンの少女の力になりたいと思うんです」。インタビューの質問をさえぎるように、突然こう切り出したのは歌手の岩崎宏美さんだった。福岡市・天神のライブハウスで取材中、彼女は「途中でごめんなさいね」と言いながら、経緯を語り始めた。

 ホテルの一室で偶然、西日本新聞を手にした。一枚の写真に目が止まった。チャドルで顔を隠した少女の写真。引き込まれるようにアフガンの連載記事を読んだ。現地特有の皮膚病に侵され、鼻の半分が崩れ、ほおが赤くはれ上がり、それでも貧困ゆえに八年も放置され・・・。読みながら目頭が熱くなり、何か力になれないがと思ったという。「二万円で手術できるのであれば寄付したい。手続きの方法を教えてくださいね」。会ったら聞いてみよう、寄付しようとおもっていたという。結局、こちらの用意した質問は半分も聞けなかったが、なぜかうれしくて仕方なかった。

 歌手としての生活がある。現地で難民の命を守る「ペシャワール会」(福岡市)の活動を手伝うことはできないけれど、側面から支援することはできる。そう考えて行動を起こした彼女の心を動かしたのは、紛れもなく一本の記事だった。新聞もまだまだ捨てたもんじゃない。手前みそな話だが、改めてそう思っている。

西本願寺仏教婦人会 季刊誌「めぐみ」2001年秋号 

特別寄稿 「平和教育を考える」

 八月六日、長崎市・稲佐山で開かれる平和コンサートがある。タイトルは「夏・長崎から」。その名の通り、長崎市出身の歌手さだまさしさんが「広島原爆の日に長崎から広島に向かって歌う。それだけで伝わる人には伝わる」と宣言して始めたコンサート。今年、節目の十五回目を迎えた。

 毎年、さださんのほか、加山雄三さんら多彩なゲストが出演し、三万人前後が詰めかける。平和コンサートだが、ステージで平和への祈りを捧げるわけではなく、核廃絶を声高に叫ぶこともない。「敢えてそれを口にしない」とさださんは強調する。無論、反核団体などからの批判はある。「若者に媚びるやり方では何も伝えられない」と。

 だが、何度か参加して感じることは、そんな批判とは裏腹に、平和や反戦、反核の思いが深く静かに刻み込まれる「平和集会」だということだ。昨夏、さださんは打ち上げの席で、「夏・長崎から」に込めた思いを一つのエピソードに託してこう紹介した。

 ぎっしりと詰まった屋外ステージの観客席。小さな子どもの手を引いて席を探す若い母親がいた。「どうしてこんなに人がいるの」と子どもが聞いた。母親は「平和コンサートだからよ」と答えた。すると子どもは「平和ってなあに」と聞き返した。母親はこう答えた。「こんなにたくさんの人が集まって音楽を聞けるってことが平和なの」−−。

 戦後五十六年、戦争体験の風化が叫ばれて久しい。戦争や原爆の体験を後世に伝える”語り部”も少なくなった。戦争を知らない世代ばかりになった時、「平和集会や平和授業はどうなるのだろうか」と危惧する声すらある。だが、戦争を題材にしなければ”平和”は語れないのだろうか。「夏・長崎から」の在り方をみながら、平和について考える時間を作ることが平和授業であり、平和集会ではないかと思っている。

 平和なはずの日本で六月、小学校に乱入した男が幼い児童八人を刺殺するという何とも痛ましい事件が起きた。いとも簡単に人を殺す少年たちの存在もクローズアップされている。事件の動機や背景はそれぞれ異なるが、こうした男たちに共通しているのは、人の死に対する痛みの欠如であり、愛する者を失う苦悩への心配りの欠如である。

 今、大切で必要なことは”生と死”や”命”について語り、考えることであり、幼心にその尊さを擦り込んでやることだ。ペットの死に際し、お墓を作ってやることも、家族そろって阿弥陀如来に手を合わせることも平和授業となる。そのことが、ひいては平和や反戦の思いを育てることにつながると思う。

 時代は変わる。やがて”語り部”はみなお浄土に還り、戦争体験はさらに風化する。だが、平和授業の役割はより重要性を増している。

2001年12月1日号 「宗教を利用した政治」

 あの日、午後十時のニュースが始まると、燃える世界貿易センタービルの映像が映し出された。「旅客機が激突した」と伝える。にわかに現実とは信じられず、ただ呆然とテレビを見ていると、二機目の旅客機がビルに突っ込み、火柱が上がった。ようやく事態がのみこめたころ、ニュースから流れ始めたのは、イスラム過激派の存在であり、サウジアラビア出身の指導者ウサマ・ビン・ラディンの名前だった。

 テロの首謀者とされるビンラディンの行動の根本にあるのは「ジハード(聖戦)」の思想だといわれる。キリスト教徒やユダヤ教徒の抑圧を受け、危機に瀕するイスラム社会を救うため、「聖戦」を行うのはムスリム(イスラム教徒)の義務だというものだ。

 最大の敵は、聖地エルサレムを含むパレスチナを占領するイスラエルであり、そのイスラエルを擁護し、イスラム教の二大聖地メッカ、メディナを抱えるサウジアラビアに軍隊駐留を続ける米国ということになる。

 無論、イスラム教は殺人を容認していない。自殺を罪ととらえ「自殺者は地獄に行く」とも説く。にもかかわらず、イスラム過激派は「聖戦の中での自爆テロ」を「殉教行為」として正当化し、殉教者とその家族は死後、天国行きが約束されていると洗脳しているという。

 旅客機を乗っ取り、自爆したテロリストたちは、天国行きを信じて殉教したことになる。紛れもなくそこに宗教がある。

 だが、無抵抗の市民を巻き添えにする無差別テロがアラーの神の教えであるはずがなく、正当化される正義などあるはずもない。

 ビンラディンはイスラム社会を取り巻く貧困と絶望を背景に、信仰心を対米テロに利用しているに過ぎない。そこにあるのは宗教ではなく、宗教を利用した政治だ。

 パレスチナ紛争、北アイルランド内戦、バルカン半島問題・・・。米国同時中枢テロに限らず、各地の紛争はどれを取っても宗教絡みであることは間違いない。同時に、宗教を利用した権力者たちの縄張り争いであることも間違いない。

2001年8月15日 「おばあの存在意義」

 NHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」で、沖縄在住の女優・平とみさん演じる「おばあ」が好評だという。沖縄戦を体験し、米国統治、本土復帰という戦後の荒波の中で生きてきた沖縄の女の強さとやさしさが、大きな縦軸となってドラマを貫く。

 印象に残るセリフはいくつもある。「神様は和也君を選んで、文也君や恵里たちに命の大切さを教えてくれたんだね」「老いては子に従え、ではなくて、おばあの場合は、老いては子を従え」・・・。ドラマの作者は「おばあ」を使って、親から子へ、子から孫へきちんと伝えるべき「命」を。「生」を、そして「死」を視聴者に伝えようとしているような気がする。

 この夏、歌手さだまさしさんが二冊目の児童書「おばあちゃんのおにぎり」(くもん出版)を出版した。タイトル通り、テーマは「おばあ」。前作「ふうせんのはか」と同様、さださんの少年時代の実話を題材にした物語だが、単に祖母へのノスタルジアではなく、「おばあ」とさだ少年の心の交流を通して、「生きる」ことの意味を問いかけている。

 さださんは後書きでこう語る。「僕がちやほやされていると祖母の背中が必ず僕を叱る。『感謝しなさい』『感謝しなさい』と。逆に言うと、みんながちやほやしてくれたら祖母にこんな風に今も僕の心の中で生きている」。

 殺伐とした時代。六月八日、大阪池田市で「死刑になりたい」と小学校に刃物を持って乱入し、多くの児童を無差別に殺傷した男がいた。幼少の頃、この男の心に「生死」について擦り込んでくれる「おばあ」はいなかったに違いない。

 「おばあ」は単に年を取ったわけではない。つらいこと、苦しいこと、悲しいこと、楽しいことをたくさん経験して今がある。テレビドラマを、育児書を通して、改めて「おばあ」の存在意義をかみしめている。

2001年6月1日 「削り落とされたロマン」

 3.141592・・・・。円周率を習ったころ、友人とどこまで言えるか競い合ったことがある。

 数年前、「東大教授がコンピューターを使って円周率の小数点以下二千六十一億桁という世界記録樹立」というニュースに接した。

 「よくやるな」と思う反面、無限に続く数字にここまでロマンを感じる研究者がいることがうれしかった。「学ぶ」とは、詰まるところ「興味を持つこと」ではないかと改めて思ったりもした。

 来春から小中学校の教科書が変わる。学習内容は三割削減される。「3になる」と騒がれた円周率は結局、これまで通り「3.14」として教えることになったが、「数の不思議」というロマンは、ものの見事に削り落とされたような気がしてならない。

 新学習要領にはこうある。「円周率としては3.14を用いるが、目的に応じて3を用いて処理できるようにする。実際に円周率が絡んだ問題を解く場合、筆算ではなく電卓を使うこともあるという。文部科学省は「子供に余計な負担をかけないため」と説明する。底流にあるのは「どの子にもわかる教育」「ゆとり」という発想だ。

 公立の学校は来春からすべての土曜日が休みとなる。その分、授業時間は減る。詰め込み教育のせいで、学校の授業に付いていけない子が小学校で三割、中学校で五割、高校で七割いるともいわれる。教える量を減らし、内容を易しくすることに理由はある。

 しかし、だ。削り方は果たして適切だったのか。円周率の問題だけでなく、小学校算数から台形の面積を求める公式が消える。台形の上の長さと下の長さを足して、高さを掛けて二で割ると面積が出る。小学生の頃、なぜそうなるのか不思議で仕方がなかった。そんな不思議を教えないばかりか、簡略化するとは。いろいろなことに興味を持つこの時期に、好奇心の芽を摘んでしまう愚行ではないかとの疑問は消えない。

2001年3月1日 「秒速50センチの美学」

 桜咲く春があり、蛍舞う夏があって、雪の降る冬がある。ものの本によると、四季を代表する植物(桜)、生物(蛍)、自然現象(雪)は一見、まるでバラバラのようだが、実は共通項があるという。

 桜ははらはらと散り、蛍は川面をゆらゆらと飛び交い、雪はしんしんと降る。日本人が愛するそれぞれの風景は、そのテンポがすべて同じだというのだ。

 無風状態の時、舞い散る桜の花びらは秒速約五十センチで落下するという。蛍はおおよそ秒速五十センチのスピードで飛び、ぼたん雪も秒速およそ五十センチで降るらしい。つまり一秒間にわずか五十センチしか移動しない。大人が普通に歩く速度は、軽く秒速一メートルを超える。いかにゆったりした動きかが分かる。

 だが、このテンポは本来、日本人が最も好み、日本の美学を育んだテンポなのかも知れない。万葉集以降、桜を、蛍を、雪を愛した多くの歌人、作家、画家がいた。文化人に限らず、その風景が人の心を癒し、やすらぎを与え、日本人の心を豊かにしてきたことは、今残る生活習慣からも容易に想像できる。

 激動の二十世紀が終わり、二十一世紀が始まった。「癒しの世紀」とも言われる。あえて「癒し」と強調しなければならないほど心の荒れた社会が今、目の前にある。

 心の荒廃は、社会の秩序を蝕む。例えば電車の中の風景。子どもの手を引いて強引に列に割り込む母親がいる。「超むかつく」と汚らしい言葉を発する小学生がいる。床に座り込み、大声で携帯電話を使う高校生がいる。平気で化粧に没頭する若い女性がいる。立ったままハンバーガーに食らいつき、空き缶を置き去りにする背広姿の男がいる。時間に追い立てられる姿は醜く、滑稽ですらある。

 新しい時代。生活と風流のテンポはもちろん違うが、せめて「秒速五十センチの美学」を心に宿すことから一歩を踏み出したい。

 

 


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