な あ も

Na-mo amida butsu


親鸞さま、ありがとう

 小学三年生の和夫君は、唯信君と遊ぼうと誘いました。そうすると、「あさっては、うちで、ほおんこさんがあるからダメだよ。たくさんの人が来て、いっしょにおつとめをするんだ。お坊さんもたくさん来るよ」という答えでした。唯信君の家はお寺です。

 和夫君は遊べないのはつまらないと思いながらも、「ほおんこさん」というのが気になったので、お寺に行ってみることにしました。

 お寺の門の看板には「報恩講」と書いてありました。読み方がわからないので、唯信君に聞くと「ほうおんこう」と読むのだけれど、お寺に来る人はみんな「ほおんこさん」と言っていると教えてくれました。

 本堂に上がってみると、周りの人たちが「まあ、よく来たね。飴をどうぞ」と声をかけてくれました。

 みんな大きな声でおつとめするので、和夫君はちょっと恥ずかしいなと思いましたが、いっしょに声を出しておつとめしました。

 おつとめの後、お坊さんのお話がありました。和夫君は「親鸞さま、ありがとうということが報恩講なのです」という言葉だけおぼえていました。

 お話が終わって、唯信君のお父さんが、みんなにあいさつをしました。そして和夫君を見つけて、「よく参ってくれたね。ありがとう」と声をかけてくれました。

 和夫君は家に帰ってさっそくお父さんに「親鸞さま、ありがとうってどういうこと」と聞きました。するとお父さんは「親鸞さまは私たちのいのちはひとつひとつみんな尊く、わけへだてのないことを教えていただいた阿弥陀さまのことを紹介してくださったんだよ。その親鸞さまが亡くなられた日(一月十六日)をご縁におつとめをし、阿弥陀さまのお話を聞くのが報恩講なんだよ。報恩をかんたんに言うと、親鸞さまありがとうということなんだ」と教えてくれました。

 和夫君は、それはきっとすごく大切なことなんだろうなあと思い。またお寺に行ってみようと思いました。

 みんなの近くのお寺でも、報恩講がおつとめされます。みんなも和夫君と同じように、報恩講にお参りしましょう。きっと「親鸞さま、ありがとう」という人たちに会うことができますよ。

 


やさしいこころ

 晶子さんという、心のとても美しい女の子がいます。その晶子さん、実は白血病という血液の病気にかかり、長い間病院のベッドの上で療養をしています。

 発病して、もう何年もたちますが、まだ退院の見込みはありません。その晶子さんを、ずーっと看病しているのがお母さんでした。

 ある日お母さんの友達が、晶子さんを心配してお見舞いに来てくれました。お見舞いを終えお帰りになる時、見送りに出たお母さんに、「あなたも看病ばかりで大変でしょう、一度娘さんをほかの誰かに看てもらって、どこか温泉にでもご一緒しましょううよ」と言っているのが、晶子さんの耳に聞こえました。「お母さんどうするのだろう」と息をのんでおかあさんの言葉を待ちました。 

 するとお母さんは「ご親切に有り難う、でもあの子をおいて旅行なんて、私とても出来そうもありません。ごめんなさい、せっかくお誘いして下さったのに」

 晶子さんは、胸がキュンとしました。「病気をしている自分のせいで、お母さんは自由に旅行にも行けない」そう思うとお母さんに悪いことをしているようで、涙が出てしまいました。

 にこにこ顔で病室にもどってきたおかあさんは、晶子さんの顔を見て、「どうしたの?」晶子さんは病室の外での、お友達との話を聞いてしまったことを正直に言いました。そして、「私はがまんできるよ。お母さん旅行に行っておいでよ」

 するとお母さん。「何言っているのよ、お母さんは旅行に行くより、晶子のそばでこうしていることのほうが、よほどうれしいんだから。お母さんに看病させてよ」と笑顔で言ってくれました。

 晶子さんは、お母さんの私を思ってくれるやさしい心に、思いっきり泣きました。

 阿弥陀さまは、「あなたのことが心配で、放っておくことが出来ません」と私を一人子のように思って下さっています。

 


来て下さった阿弥陀さま

 浩二君は自転車に乗れません。公園で自転車に乗る練習をするのが楽しみです。この前の土曜日のことです。友だちといっしょに練習していたのですが「遅くなるから先に帰るよ」って友だちは帰ってしまいました。

 もう少しで乗れそうになったので、浩二君はあたりが薄暗くなったのも気づかないほど、一生懸命練習していました。

 そのころお家では、お母さんが浩二君の帰りの遅いのを心配しながら、夕ご飯の準備をしていました。そこにお父さんが仕事から帰ってきて「浩二は?」と聞きます。「自転車の練習をするって出ていったきりなんですよ」そうお母さんから聞くやいなや、お父さんは居ても立ってもおられず、浩二君がいつも練習している公園に走って行きました。

 途中お父さんは気が気ではありません。怪我をしているのではないか、事故にあっているのでは、といろんな心配が胸の中にわき起こります。「こうじー!」お父さんは浩二君の名前を呼びながら走り続けました。

 そんなことは全く知らずに、すっかり暗くなった公園の街灯の下で、浩二君は自転車にヨロヨロしながら乗っています。

 公園の入り口にお父さんがやってきました。「浩二!」そう呼ぶとお父さんは一目散に浩二君のところにかけ寄りました。そして浩二君の自転車の後を、「上手に乗れるようになったね、よかったね」と言いながらついて走ってくれました。

 浩二君はお父さんが心配して迎えに来たっていうことなど、全く知らずに得意な顔をしながら自転車に乗り続けました。

 お父さんもそんな浩二君を優しい眼をして見守っていました。そして「さあ、そろそろ一緒に帰ろう、お母さんが待っているよ」と暗い夜道を浩二君はお父さんに護られながら帰っていきました。

 私たちの阿弥陀さまは立っておられます。その姿は、浩二君のことを心配したお父さんが、浩二君のところにやってきて、一緒に家路を帰って下さったように、阿弥陀さまが私たちのことが心配で心配で、放っておくことができないと、私のところに来て下さり、いつもご一緒して下さっている阿弥陀さまのこころをお立ち姿で表して下さっています。

 阿弥陀さまはいつでも私にご一緒してくださいます。

 


花まつりの不思議

 四月八日は花まつり。おしゃかさまの誕生日だよ。みんなは、花御堂のおしゃかさまに甘茶をかけたことがあるかな? どうして甘茶をかけるんだろう? 不思議だね。花御堂には他にも謎がいっぱいあるよ。どうして花がたくさん飾られているのかな? おしゃかさまは生まれたばかりなのにどうして立っているのかな? どうして右手をあげているのかな? ねっ、謎だらけだ。不思議だよね。それにはとっても深いわけがあるんだよ。

おしゃかさまが生まれたのは、北インド、現在のネパールあたり。ルンビニーという花園で生まれたんだ。だから花をたくさん飾ってお祝いし、おしゃかさまの誕生日を花まつりと言うんだ。そして、生まれたときに空から甘い露が降ってきたんだって。不思議だね。甘茶をかけるのはそういうわけ。でも本当に不思議なのはこれからさ。

 おしゃかさまは、生まれてすぐに立ち上がり、七歩歩いて、それから右手で空の方、左手で地面の方を指して「天上天下唯我独尊」って言ったんだって。だから花御堂のおしゃかさまは、立って空と地面を指さしているんだ。それが、「天上天下」ってことを表しているのだけど、世界中で、という意味だよ。「唯我独尊」というのは、その世界中でわたしはたった一人の、大切で、尊い存在なんだ、という意味。生まれた時にそんなことを言うなんて不思議だね。

 でも、僕たちだって世界中でたった一人しかいないよ。みんな、たった一人しかいない、大切で尊い存在なんだ。おしゃかさまは、このことを教えてくれたのかな。四月八日には甘茶を作ってもらって飲んでみよう! ちょっと不思議な味がするかもしれないよ。

 


特別な日・・・誕生日

 誕生日は特別な日です。だって、「ひとつ」大人になることですものね。だから、「おめでとう」と言ってもらえるのでしょう。

 あなたのお母さんやお父さんにとっても、あなたの誕生日は、きっと特別な日に違いありません。それは、あなたがこの世界に生まれてきてくれて、あなたの「親」になった日だからです。

 あなたが生まれたその時に、お母さんとお父さんはあなたの「親」になったのです。

「誰からも好かれる人になってね」

「素敵な生き方をしてね」

 生まれたとき、あなたに親としての「願いを」いろいろと持ったでしょうね。

「泣きたいときには泣いてもいいよ」 

「ここに、いてくれるだけでいいよ」

 毎日願うことは、こんな当たり前のことなのかも知れません。

 家族らしい温かさの一つに、「いってきます」「いってらっしゃい」「ただいま」「お帰りなさい」のあいさつがあります。

 「いってらっしゃい」とは、ケガや事故がないように帰っていらっしゃいね、という気持ちを表した言葉でしょう。また、「ただいま」は、心配をかけたけど無事に帰りましたよ、と言っているのでしょう。お互いのことを大切に思い合っている温かい言葉ですね。「親の願い」で結ばれている家族らしい温かさです。

 「親の願い」と「仏さまの願い」は、よく似ているところがあります。それは、どちらも、あなたのことをとても大切に思っていること・・・。

 あなたの誕生日には、お母さんやお父さんの「願い」を心に思いうかべてみましょう。

 五月二十一日は親鸞さまの誕生の日です。「仏さまの願い」を教えてくださった親鸞さま。あなたのことを大切に思っている「仏さまの願い」を考えてみましょう。

 


感謝

 みんなは、ごはんの中で何が好きですか。わたしはカレーライスが大好きです。お昼休みになると、大学の食堂で、おばちゃんが作ってくれる、おいしいカレーライスをよく食べます。

 わたしがおいしいカレーライスを食べられたのは、誰のおかげだと思う? 食堂のおばちゃん一人のおかげだと思う? 違うよね。カレーライスには、何が入っているかな。にんじん、じゃがいも、たまねぎ、お肉、ごはん、カレーのルーなどだよね。

 例えば、にんじんだったら、それを作った農家の人もいるし、作ったにんじんをその食堂まで運んでくれた人もいるよね。にんじんさんも、わたし達のために、おいしいごはんになってくれたよね。お肉も同じだよね。牛さんもそうだし、牛さんが食べた草も、わたし達がおいしいカレーライスを食べるために助けてくれたよね。草がなかったら、牛さんも生きられないものね。

 こうして考えていくと、わたし達がおいしいカレーライスを食べるために、たくさんの人や動物、植物たちが手助けをしてくれていることがわかるよね。だから、わたしは、食堂のおばちゃんだけでなくて、いろいろな見えないところで助けてくれた人達にも感謝したいなと思いました。みんなもよく考えてみると、いろいろな場面で、たくさんの人達にいつも助けてもらっているよね。でも、直接自分を助けてくれる人には、感謝することができるけれど、見えないところで、自分を支え、助けてくれる人がいることにはなかなか気づけないのではないかな。わたし達が、今、こうして生きている事ができるのは、そういう人達のおかげなのです。だから、わたし達の目に見えるところの助けだけではなくて、目に見えない気づかないところでも、自分を助けてくれている人達が、たくさんいる事に気づいて、どちらにも感謝してほしいと思います。


 

いのちのつながり

 君たちの親せきは何人いますか?おじさんやおばさんやいとこの顔は思い浮かべても、たまにしか会わないから、いったい何人いるのかわからないよね。

 お父さんやおかあさんがいて、そのそれぞれにおじいさんとおばあさんがいて、そのおじいさんとおばあさんにも、それぞれの両親がいます。

 そんなふうに考えていくと、私たちのいのちのつながりというものは、昔にさかのぼれば、どんどん広がっていきます。私たちのいのちは、まるで大きな大きないのちの湖から流れ出した川の一つかもしれません。とちゅうで合流したり枝分かれしたり、川の名前はさまざまだけれど、どの川にも同じ水が流れている。だって、もとのいのちの湖が同じなんだから。

 そこで、自分のいのちをたどってみてごらん。そう、たくさんの先祖がいるよね。いのちのつながりをたどっていけば、自分のいのちは、数え切れないくらいたくさんの先祖の大きな大きないのちのことだってわかりますね。

 夏になるとお盆が来ます。お盆には、お墓参りに行ったり、お坊さんにお仏壇でお経をあげてもらったりして、先祖やなくなった家族のことを思い、仏さまに手をあわせます。

 自分のいのちは自分だけのものだなんて考えずに、自分のいのちにつながる先祖や、なくなった家族のことを考えてごらん。私のいのちは、大きな大きないのちから生まれ、すべてのいのちにつながっているんだって分かるよね。

 そうすれば、もっともっといろんないのちも見えて、どのいのちも大切だってことが君には分かってくるよね。

 いちど仏さまの前で、そんなふうに考えながら、手を合わせてみてごらん。


 

いつもいっしょのほとけさま

 順ちゃんのおかあさんは、順ちゃんが三歳の時、病気で亡くなっています。ですからお母さんの顔を覚えていません。

 小学校一年生の時の事です。お母さんに会いたくて会いたくて、知らない街までどんどん歩いていきました。なぜかって言うと、お父さんにいつも「お母さんは遠いところに行ったんだよ」と聞かされていたからです。

 「お母さーん、ボクのお母さんやーい」順ちゃんがそういいながら歩いているのを見かけた街の人が、迷い子だろうと交番に連れていってくれました。

 そのころ、順ちゃんのお家で大騒ぎです。お父さんと五つ上のお兄ちゃんが、手分けをして捜していました。お友達に聞くと「今日お母さんに会いに行くんだ」と昼休みに話していたと言うではありませんか。あたりは暗くなり、どこを捜していいやら途方に暮れていた時、交番から順ちゃんを預かっています、という知らせがありました。

 お父さんとお兄ちゃんは走りました。走りながらお父さんは、亡くなる前にお母さんが言っていた言葉を想い出していました。

 お父さんを見るなり「お母さんをさがしていたんだよう。お母さんどこにいるんだよう。会いたいよー・・・・・」後は言葉になりません。お父さんは、順ちゃんを力一杯抱きしめ「兄ちゃんも順もよく聞いてくれ。お母さんは順が三つの時死んだんだ。ここに来る途中、お母さんがおまえ達に残した大切な言葉を想い出した」お父さんは、お母さんの言葉をゆっくりと話し始めました。

 「もっと生きて、あなたやこども達と一緒にいたい・・・・・。だけど、もう長くはないと思うの。私がいなくなってあの子たちが寂しい思いをすることを考えると、かわいそうでやりきれなくて・・・・・。きっと私を捜すと思うの。その時にはこう言ってあげてね。お母さんはお浄土に生まれて、ナモアミダブツという仏さまになってるって。だからいつでもどんなときでもあなた達と一緒にいるよ。寂しいときも、うれしいときも、つらいときもナモアミダブツって、そっと口に称えてごらん。お母さんはどんなことがあっても、あなた達といつも一緒だよ」

 順ちゃんの口から初めて「ナモアミダブツ・・・」お念仏が出ました。お念仏すると、なにかお母さんにだっこされ、護られているようです。その事がうれしくって、それから何度も何度もお念仏をするようになりました。

 お母さんは、さがしにいかなくても、いつもボクと一緒にいてくださる仏さまになったんだと知って、順ちゃんは勇気と元気がでたみたいです。

 


これらは、浄土真宗本願寺派仏教こども新聞社刊「仏教こども新聞」で掲載されました法話の中から編集したものです。


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